こんにちは、ランプです。
こう考えていたことはありませんか?

あ、あの人成功してる。どうせ運とか才能があっただけでしょ。
自分が失敗している中で相手が成功しているといい気持ちはしないでしょう。
しかも、それが運によるものならなおさらです。
こういったとき「成功は運のおかげ」という理屈で話されています。
しばらくした後、運は成功(出来事)にどれだけ影響を与えるかが気になりました。
そこで1月の間、能動的に動かなかった期間を通じて気づけたことを
- 実際にやった結果
- 気づけたこと3選
から紹介します。
それじゃ、見ていきましょう。
起こったこと
話をする前に前提として、私はこのような生活をしてました。
- 1ヵ月引きこもり
- 友達に話しかけない
- 外に出歩かない
- SNSに触らない

やってたこと言えば、本を読んだり、スーパーに買い物に行ったり。
スーパーは無人レジで会計してるから、人との交流もなかったよ。

いやいや!そんな状態で何が起こるの?何にも起こりそうにないじゃん!
予想の通り、イベントが何一つ起きませんでした。
友達と話すことはなく、知識が増えるわけでもなく、新しい刺激もありません。
普段発生していた出来事が何一つ起きなかったのです。
気づけたこと3選


何もなかったのに何に気づけたの?
意外なことに何もないことで気づけたことがありました。
気づけたことは3つ。
- 完全に受動的なことはない
- 受動的に感じることも行動の結果
- 完全に受動的であることの意味
これらを紹介してきます。
完全に受動的なことはない
皆さん、受動的な出来事と言われるをどういったものを想像しますか?
- 家族が遊びの誘いをしてくれた。
- 同僚に仕事を手伝ってもらえた。
- クラスメイトに話しかけられた。
こういったものがほとんどでしょう。
他にもありますが、相手が発端となったこと全般がイメージに出るでしょう。
しかし、こういった受動的なものが起こる条件が運以外であります。
それは自分がそこにいることです。
家にいなければ、家族と話すことはないので、誘われることはない。
職場にいなければ、同僚に仕事を見てくれないので、手伝ってもらえない。
学校に登校しなければ、あなたに対してクラスメイトが話しかけてくることもない。
どんなに受動的な出来事でも、能動的な行動が前提になっています。

発生率0%の環境から1%の環境に移動したって感じだね。
受動的に感じることも行動の結果

一理あるけど、今だとSNSで家族とも仕事ともつながれるからあんまり関係ないんじゃない?
そう、今やSNSでのコミュニケーションが当たり前になっています。
家族や友達とはSNS、仕事はZoomなどによって場所による制約は無くなっています。

だよね?じゃあ、完全に受動的な出来事もあるんじゃない?休んだら上司から電話がくる、同僚との仕事の打ち合わせとか。
自分から動かなくても発生することは確かにあります。
しかし、それでも自分の行動によって発生しています。
違う会社に勤めてたら仕事も緩やかで、打ち合わせをすることはなかったかもしれません。
極端な話ですが、あなたが無職なら上司からも電話されることもありません。
言いたいことは、受動的なことも過去の行動の結果であるいうことです。
SNSのつながりもSNSを触らずに生きてきたら存在しません。
私の周りもSNSを使用していないという人がいました。
あなたの周りにも、1人や2人いませんでしたか?
たらればが考えられることからも、過去の行動も受動的なものに要因になっています。
完全に受動的であることの意味

自分の行動が要因なのはわかったけど、他はどうなの?
上司がストレスをぶつけてくるとか、1つや2つはあるよ!

そういったことは確かにあるよね。
でも、それって相当つらいことを言ってるんだよ。
人生で本当に自分が関係なく発生することはあります。
- 会社の倒産
- 年金受給額の減少
- 会社のリストラ
など、自分の行動だけではどうしても変えられないものもあります。
自分一人が頑張っても会社を支えられません。
納税を増やしても年金の減少を防げません。
リストラも同様です。
しかし、受動的とはだいぶ悲しい言葉なのです。
私は、受動を自分がどんな行動をしても変わらないことだと考えています。
実際に辞書では「他から動作、作用を及ぼされること」と書かれています。
この言葉を他者のミスに使うと、「自分には成長、改善の余地がない」こう言い切っていることになります。
つまり、これらのイベントを避ける方法はなく、運によって決まると言うのと同義です。
確かに上司の件も介入できる要素はありません。
しかし、受動的な出来事の結果を変えることは出来ます。
上の人に相談や対策を求める
年金が減るなら、将来の対策をする。
会社の雲行きが怪しいなら転職を始める。
思いのほか、起こったことが結果に繋がらないことも多いです。
こうしたものは、起こるか起こらないかは変えられません。
ただ、自分に対しての影響を変えることができることを覚えるとだいぶ楽になれます。

「結果を受け入れることは能動的な行動」と考えると意外と動く気になれるよ。
考えられるようになったこと

これらを知って改めて考えるようになったことがあります。
それは成功者のインタビューです。
成功者のインタビュー
成功者のインタビューでは「こう運営してきた」など自分たちの努力の結晶を紹介する人たちをよく見ます。
こういう話を聞くと

言語化できない才能があったからでしょ。

その時の運に乗れただけ。
このように運によって勝ち得たもの、宝くじの高額当選のように話す意見が見受けられます。
確かに、成功そのものは運に左右されます。
大学受験のために勉強を努力しても、定員以上自分より勉強が得意な人がそこにいれば、その努力は何の成果も残しません。
そんな状況で遺伝子には人生に及ぼす影響があることが発見されてしまいました。
客観的なデータができたので
「良い遺伝子を運良く手に入れて、その遺伝子によって救われている。」
こういったものにより運の重要性が補強されていきました。
私もそのように考えていました。
そのせいか、成長のため、将来のための行動をする気になれませんでした。
運ですべてが決まる、自分に介入できる余地がないと考えているから当然です。
その横で自分の手で道を切り開く人を見て嫉妬しない人はいないでしょう。
両者を見ていると気づけたことがありました。
運を重要視する人と努力を重要視する人を見比べると、人生を楽しんでいるのは明らかに後者でした。
今になって
「その努力が報われるかは運なのに、なんでそんなに楽しめているの?」
と疑問を感じたので調べてみました。
成功者は運についてはあまり話をしません。
近い話としては「成功するまで努力する」このくらいです。
運を重要視する人は「成功の要因は運だから運が重要だ。」と考えます。
成功者は「成功のための運は行動しないと何もないからやっぱり努力が重要だよ」と考えます。
こう比較すると、自分の選択は自分によって介入できるという考えがうかがえます。
また、人間は選択の自由があることに幸せを感じると言われています。
なので成功者たちが努力を説く理由は、幸せに生き続けるためかもしれません。
まとめ:とりあえず動いてみよう

今回は受動的に行動していて気づいたことを紹介しました。
- 完全に受動的なことはない
- 受動的に感じることも行動の結果
- 完全に受動的であることの意味
受動的と聞くと自分にできることはないと思いがちです。
しかし、考え1つを変えるだけで変えられることはたくさんあります。
幸福は選択肢の数だけ多くなります。
受動的だからで諦めたことに挑戦するきっかけになれてれば。
じゃ、次もよろしくお願いします。
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